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宮古島ワイドーマラソン

2001年3月。ホノルルマラソンへの挑戦計画が、私と青柳の間でひそかに進められていた。

40名足らずの社員のうち、10名が名乗りを上げた。私は驚いた。
“42キロを走り抜くのは、遊び半分ではすまんぞ”。。。
青柳は、一人ひとりの力量に合わせた目標の設定と練習メニューを作り上げた。
管理本部長の山岸も加わり、挑戦計画は動きだした。

ニューヨークでテロ事件が発生した。
挑戦の舞台は、宮古島に変わった。
ダイヤモンドヘッドを見ながら走りたかった。
苦渋の選択だった。

 

2002年1月13日 宮古 快晴
 温度は25度を超えようとしていた。
未知の距離に挑戦するには、厳しすぎる条件だ。

 

午前11時。
 50キロにエントリーした、青柳、杉山、米山の未知への挑戦は開始された。
走らないものは、サポーターになった。
サポーターを乗せたバスが20キロのスタート地点に向かう途中、バスは3人を追い抜いた。
彼らはサポーターの声援に笑顔で応えた。

 

東平安名崎。
20キロのスタート地点。50キロの30キロ中間地点。
午後2時。

 20キロに挑む7人がスタートした。
まもなく、声援を送るサポーターの前を、前方を睨みつけるように青柳が走りすぎる。
足が痙攣をおこしているのか?米山も時々、足を引き摺るようにしながら通過した。
杉山は、まだこない。朝 ”体調が十分でない”と誰かが言っていたのが気にかかる。

順調にいけば、青柳のゴールが間近かだ。
心を残しながら、サポーターを乗せたバスは、ゴール地点に向かった。
バスは、次々と過酷なレースに挑むランナーを追い越していく。
そのさなかに、見知らぬランナーどうしが、互いに励まし合い、友情が生まれていたことを後で知った。
サポーターの心の中にも、言葉に表せない変化が起き始めていたかもしれない。

 

上野村ドイツ文化村。
地元の子供達が打つ太鼓がランナー達に最後の力を与えている。
 青柳は、6位でゴールに帰ってきた。快挙だ。
20キロに参加した新人の貴文君(清水)も、18位でゴールした。
大森86位、高橋87位、そして遠藤88位。満足そうな笑顔をみせながら相次いでゴールした。
太目の身体をゆさぶりながら清水(剛)と加藤も帰ってきた。
米山が帰ってきた。足を引き摺りながら。46位。見事な挑戦だった。
“出来ないことなんて何も無いって感じだろ”と訊くと”今はそんな気分です”と答えが返ってきた。
スポーツには、全く無縁だったという吉野弥生もゴールした。

 

だが、杉山が帰ってこない

 

 午後6時。
ホテルに引上げる予定の時刻を過ぎた。50キロの制限時間だ。
バスは、エンジンをつけたまま我々が乗り込むのを待っていた。
しかし、誰もバスに乗ろうとはしない。

午後7時になろうとしている。。。
夕日は既に落ち。ランナーの足元さえも見えなくなっている。
スタートからまもなく8時間を過ぎようとしている。
まだレースを続けているランナーが何人もいる。10人目の挑戦者 杉山もそのなかにいた。
与えられた、制限時間を既に1時間も超えていた。
交通整理をしていた、ボランテイの学生達が引上げた。
最後の収容車が、いたたまれず途中まで迎えに出た私の前で止まった。

収容された数名のランナーの中に杉山がいた
47キロ地点で、走ることを止められた、という。
収容車の中から、杉山が私に言った、”もう少し時間を下さい”。
胸が熱くなった。

 

この日、ユニケの挑戦者達は、南の島のさわやかな風になった
その風は、ゴール地点で彼らの帰りを待つサポーターの心のなかにまで届いていた。
いつまでも このさわやかな風の中に身をまかせていたいと、誰もが思ったにちがいない。
誰の目も、自身に溢れ、輝いているように見えた。

 

そうだ、この風を東京まで持って帰ろう…

 

平成14年1月14日
ユニケの全ての主役達に捧げる
  小 澤 晴 夫

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